2008年10月09日

地震が“自信”を生んだ

カウンセリング体験談「広島市Aさん」前回のブログ続き。前回未読の方は

http://www.sun10.net/blog81008204215.html
↑「地震が“自信”を生んだ」


2005年3月20日午前10時53分、福岡県西方沖を震源とする震度6弱の地震が福岡の街を襲いました。この地震は、街中の建物や私たちの心に深い爪あとを残しました。地震当日、私は、福岡市中央区の自宅で父と一緒にいました。突然の激しい揺れに一瞬何が起こったのか分からない状態の中、部屋の家具は次々に倒れ食器棚の中の器は粉々に割れ散乱する事態に驚くばかりでした。そして、私が住んでいた築35年の家は倒壊の危険があるため急遽、引越しをすることになりました。

地震の後片付けや引越しも終わった4月の初め頃から私は、身体の不調を感じるようになりました。頭痛、めまい、耳の圧迫感、耳鳴りがするようになり、地震から1ヶ月後に歩道で転倒し左足指を傷めたのをきっかけに、頭からつま先まで左半身が痺れ始め関節も腫れ、痛みが走るようになったのです。その痛みはまるでいっぱいに張った弓矢の弦を弾くような感じでぴりぴりと私を襲い、左足に何かが絡まってまとわりつくような感覚がありました。その痛みとともに頭痛、めまい、耳鳴りも続いていたので、病院で原因を調べようとまず脳神経外科に行きました。脳神経外科では「異常なし」と言われたので次は内科に行ってみました。内科では、「緊張型の偏頭痛で治らない」と言われ、さらに耳鼻科では「メニエル病」と診断されました。内服薬を処方してもらい飲みましたが、何の変化もなく徐々に精神的に不安定になってきたのです。「このまま自分はどうなるのだろうか?治るのだろうか?」と一人で考えこむようになりました。そこで、思い切って近くの心療内科に行きました。すると漢方薬を扱っている精神科があるからと紹介され早速行くことにしました。

その精神科では、「冷え性」「うつ病」「更年期障害」の病名とともに、もともと甲状腺が少し腫れていた私は、3ヵ月から6ヵ月に一度の甲状腺の定期検査をするようにと言われました。うつ病の精神安定剤と漢方薬を処方され飲み続けましたが薬だけでは治ることはなく不安定さは続き喜怒哀楽の表情もなくなっていきました。自分のことしか見えず、すれ違う人や周囲の人の目が気になり始め自分は人の目には奇異に映っているのだと思い込んで身体中が強張ってしまい、いつも下を向いて歩いてしまうのです。会社に行っても時間がたつのが遅く貧血で倒れるような感覚で意識を失いかけたこともあり、このことが会社の人に知られると辞めさせられると思い必死で我慢しました。次第に夜も眠れなくなり自分の部屋に何時間も座り込んだままだったり、自分は必要とされているのだろうかと自分の存在もわからなくなり「私なんか生まれてこなければよかった」と自殺まで考えました。そのようなぎりぎりの精神状態の時、一冊の情報誌が目に留まりました。その雑誌には『地震が引き金となって表出した心の傷』というタイトルで地震以降精神的に不調になった営業ウーマンの話が掲載されていました。その記事を読んだ時、職業こそ違うけれどその女性は私自身だと思いました。そして私もその
女性が訪れたセンターに行けば何か問題解決の道が見えてくるのではないだろうか、これは私にとっての最後の賭けだと勇気を出して電話をしたのです。カウンセラーの村上先生に今までの症状や感情など十分にカウンセリングしていただくなかで不調の原因となっているものが解決できると感じたので、自己開発ヒーリングを受けることにしました。

私の両親は、共働きだったので私は2歳から保育園に通っていました。そのため私には、「母親と離れて淋しかった。かまってもらえなかった」という母に対する不満があっても我慢していたこと、「忙しい母のおなかの中でゆっくりすることができなかった」など意識上では感じていなかった思いがたくさんあったことがヒーリングを受けるに従って分かってきました。その時、先生は、母の代わりになって私をしっかり抱きしめ「大丈夫。愛しているからね」と声をかけ優しくさすって下さいました。それは、これまでに体験しなかった嬉しさであり安心感でした。その時私は、自分は子どもの頃こんなにも我慢していたんだ、淋しかったんだと思いました。さらに父に対する嫌悪感、友人に対する怒り・憎しみの感情など忘れていた記憶が次々に蘇りました。帰宅後、母にそのことを話すと母は「過去は過ぎ去ったこと、気にしなくていい」と言ったのです。しかし、過去から現在まで私の心の奥深くに埋もれていた思いを閉じ込め、自分を誤魔化してきたのです。ヒーリングの中でバットを力いっぱい叩いて内にこもった感情を吐き出すことで怒り・憎しみの感情が消え、父の行動をイライラして見ていた自分がいつしか父を受けとめることができるように変わっていきました。

自分自身に向き合ってからは、母に「一緒の布団で寝ていい?」と言えるようになり母も頭を撫でながら抱いて寝てくれました。愛情飢餓だった母胎内、乳幼児期に戻って癒していくことで殺伐とした私の心が愛情で満たされ喜んでいます。我慢・淋しさ・緊張・不安などで言動や感情が不安定になることを自分自身が体験することで癒しの大切さを痛感しています。自分に自信がなく人の意見に左右され、人を信じられず人の言うことを聞けなかった私が、人を信じられるようになり自信が生まれてきたのです。今は、家族はもちろんのこと周囲の人からも「明るくなったね」「声のトーンが柔らかくなったね」と言われるようになりました。身体を硬直させ脇を閉め苦痛の表情で歩いていた私が、背筋を伸ばし胸を張って歩けるようになりました。

地震の揺れとともに私の中に奥深く眠っていた愛情飢餓という意識が揺さぶられた時、私は自分をコントロールすることができなくなりました。しかし、自己開発ヒーリングを受けることによって自分自身を取り戻し、これまで以上の幸せを手に入れることができたのです。これからは、私の体験をもとにこの喜びを多くの人に伝えていきたいと思っています。


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Posted by 村上眞知子 at 09:03│Comments(0)体験談のご紹介
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